アイデアのつくり方ーその具体的方法 その⑴ 特殊資料ー
さて、前回はアイデアマンの思考法について解説しました。
アイデアの心ーその思考法ー
アイデアを作り出すための二つ
さて、前の記事で「アイデアを出す人」について、書きました。
ただ、最初に読んだとき、
「じゃあどうすればそれになれんねん!」
と、思いました(笑)
ただ、流石ベストセラー、ちゃんとあとに書いてあるのですね。
それは2つのこの思考法だそうです。
①既存の要素を組み合わせること
②事物の関連性を見つけ出すこと
の2点です。
まだ、解説の途中ですが、ここは本当に重要です。
僕自身が、大きな気づきを得た場所でもあるので、
私は彼をパットニーの療養所に見舞ったことを覚えている。私はナンバーが1729のタクシーに乗り、その数は無味乾燥なもののように思え、それが不吉なことの前兆でないことを願っていた。しかし彼は「そんなことはありません、とても興味深い数字です。それは2通りの2つの立方数の和で表せる最小の数です」と返した。
アイデア人間になるためにーパレートの学説ー
誰でもアイデア人間になれる
さて、以前の続きですが、やっていきましょう。
みなさんはアイデアが欲しいと思ったことはありませんか?
「会社で何か案を考えてこいと言われたけどどうしたら…」
などなど、大きいところから小さいところまで面白いアイデアというのは、
なかなか思い浮かばないものです。
ちなみに僕もしょっちゅう思ってます。
こちらではないですが、ブログを書いているので、
「どうすれば読まれる記事のネタが思いつくかな…」
「どうしたら面白い記事になるかな…」とかですね。
この疑問に答えてくれたものが、「パレートの学説」です。
正確に言えば、「どんな人間がアイデアを思いつくことができるか」
について書かれています。
「それってどうせ頭良い人が思いつくんでしょ」
「めちゃめちゃ大変なんでしょ」
と思ったあなた、『アイデアのつくり方』によればそんなことはないのです。
では、これから解説していきます。
それは、
「新しい組み合わせの可能性につねに夢中になっている、こと」
だそうです。
特に夢中になっているが大切だそうです。
さらに端的に言えば、「もうこの辺で十分だと打ち切ることができない人々」
がアイデアマンになっていくというのです。
「そんなこと言ったって、それができないから困っているんじゃないか!!」
とお叱りの声が飛んできそうですが、
そうではないのです。この後、その訓練方法が書かれているのですが、
これは自身で役に立ったので、また次回お話していこうと思います。
では今回はこれまで。
孫子-計篇第一-三 戦争とはだましである
戦争は詭道(だまし)である
戦争とは詭道である。それゆえ、強くとも敵には弱く見せかけ、勇敢でも敵には臆病に見せかけ、近づいていても敵には遠く見せかけ、遠方にあっても、敵には近くみせかけ、利を求めているときはそれを誘い出し、混乱しているときはそれを奪い取り、充実しているときはそれに防備し、強いときはそれを避け、怒りたけっているときはそれをかき乱し、謙虚なときはそれを驕りたがぶらせ、安楽であるときはそれを疲労させ、親しみあっているときはそれを分裂させる。敵の無備を攻め、敵の不意を突くのである。これが軍学者のいう勢であって、出陣前にはあらかじめ伝えることができないものである。
「戦争とはだましである」から始める有名な一説ですが、これは軍隊以外にも当てはまりそうです。
これを読んで感じたことを自分の状況に即してアウトプットしていきます。
「強くとも敵には弱く見せかける」「近づいていても敵には遠く見せる」
今私は、ビジネスを考えていますが、本当に毎日それに時間を費やしています。
ただ、まだ外に出す段階ではないので、顧客に対して価値があると判断し、競合以上のアウトプットや優位な点をある程度確保できたら、放出していきたいと考えています。
直接的に面と向かって戦うわけではないので、相手自身に直接アプローチはかけませんが、先手を取る意味では、この「計篇」はとても有効な視点を与えてくれるな、と感じています。
今回はここまで。
孫子ー謀攻篇第三ー三
戦争の原則ー敵味方の実力差ー
故に兵を用うるの法は、十なれば則ち之を囲み、五なれば則ち之を攻め、倍なれば則ち之を分かち、敵すれば則ち能く之と戦い、少なければ則ち能く之を逃れ、若かざれば則ち能く之を避く。 故に小敵の堅は大敵の擒なり。
「戦争の原則は、味方の兵が十倍であれば敵を包囲し、五倍であれば敵を攻撃し、倍であれば敵を分裂させ、同じならば努力して戦い、少なければ退却し、力が及ばなければうまく隠れる。だから小勢なのに強気ばかりでいるのは、大部隊のとりこになるだけである。」
との、ことです。
私の場合今参考にしたいのは、
少なければ則ち能く之を逃れ、若かざれば則ち能く之を避く。
(少なければ退却し、力が及ばなければうまく隠れる。)
の部分ですね。
現時点でビジネスをしようと思っている私は、
ほかの競合と比べてほとんど、無力でしょう。
なので、「何かを始めるにしても悟らせてはいけない。」
という意味だと考えます。
ブログアフィリエイトを頑張っていますが、
その大切な記事は少し取っておいてためてから放出したいと思います。
それではこれまで。
第2部―理性的に考えるための方法―
第2部―理性的に考えるための方法―
まずデカルトは、理性的に考える前に、一般的なものの考え方についてこう説きます。
また私はこう考えた。書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人々の意見が寄せ集められて、
次第にかさを増やしてきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然になしうる単純な推論ほどには、真理には接近できない。
われわれの判断力が、生まれた瞬間から理性を完全に働かせ、理性のみによって導かれていた場合ほどに純粋で堅固なものであることは不可能に近い
古い基礎の上だけに建設し、若いころに信じこまされた諸原理にだけ、それが真かどうかも吟味せずに依拠するより、このやり方によって、はるかによく自分の生を導いていくことに成功すると堅く信じた
「このやり方」がこの方法なのだと思います。個人的には、「自分の生を導いていく」が好きでした。
そして、デカルトによれば、
かつて信じて受け入れた意見をすべて捨て去る決意だけでも、だれもが従う範例ではなく、そして、この世の中には範例に全く適しない二種類の精神の持ち主がいる。
第一は、自分を実際以上に有能だと信じて性急に自分の判断をくださずにはいられず、自分の思考全てを秩序立てて導いていくだけの忍耐心を持ちえない人たち。
したがって彼らは、ひとたび、受け入れてきた諸原理を疑い、常道から離れる自由を手に入れるや、まっすぐ進むためにとるべき小道をたどることができないで、一生さまよいつづける。
第二は、真と偽とを区別する能力が他の人より劣っていて、自分たちはその人たちに教えてもらえると判断するだけの理性と慎ましさがあり、もっと優れた意見を自らは探求しないで、むしろ、そうした他人の意見に従うことで満足してしまう人たちである。
と。そして、デカルト自身も「第二の部類に入っていただろう。」と、心配するぐらいなので、一般の人間はこれをデカルトの100倍は気をつけなけないといけないと考えられます。
「四つ規則」だけで、理性を働かせ真理に到達することが十分だと信じた。
その四つが以下。
①自身が明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと。
言い換えれば、注意深く即断と偏見を避けること、そして疑いをはさむ余地のまったくないほど明晰且つ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断の中なかに含めないこと。
②検討する難問を一つ一つを、出来るだけ多くの、しかも問題をより解くために必要なだけ小部分に分割すること。
③わたしの思考を順序にしたがって導くこと。
そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、
少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、
自然のままではお互いに前後の区別がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。
④すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。
この四つについて自身なり考察を次回ふかぼっていこうと思います。
デカルト『方法序説』(岩波書店)
「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話」
今回はデカルトです。
本来は『方法序説』ではなく、刊行当初は見出しの通り『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話』だったそうです。
近代理性や近代学問の出発点といわれるものです。
個人的な話ですが、これまでニーチェやハイデガーばかり読んでいて、「理性」系には触れていませんでした。
なので、ちゃんと物事を理性的に考えようと手にしたのがこれです。
目的としては、
①論理的思考力を身につける
②①を身につけるための方法を知り、実践できるようにする
③現実の、特にビジネス(今は)に応用できないか考えられるようにする
の三つを達成したいと思っています。