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丸谷才一『文章読本』「第二章 名文を読め」①

文章上達の秘訣はただ一つしかない

その秘訣が「名文を読むこと」であるそうです。

著者からすると、これ以外は全て枝葉末節に過ぎず、最も肝心なことで、

且つ、日本の名だたる小説家も同じように思っている節があるらしいのです。

たとへば森鴎外は年少の文学志望者に文章上達法を問はれて、ただひとこと『春秋左氏傳』をくりかへし嫁と答へた。『左傳』を熟読したがゆゑに彼の文体はあり得たからである。

(中略)

古典など読むな、名文など避けて通れとさとすはずはない。われわれは常に文章を伝統によって学ぶからである。人は好んで才能を云々したがるけど、個人の才能とは実のところ伝統を学ぶ学び方の才能にほかならない 

 そうです。これを読んだときに、「古典のおもしろさがわからなかった」昔の自分に対して悔しく思いましたね。

というのも、ほぼ同様のことを手塚治虫が言っています。

※ちなみに私は手塚大ファンなのですが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E5%A1%9A%E6%B2%BB%E8%99%AB

上記の「4.5  関係の深い漫画家」の赤塚不二雄(『ひみつのアッコちゃん』・『天才バカボン』の作者)の項で、以下のように説明されています。

赤塚が新人漫画家としてデビューした頃、手塚は「赤塚クン。りっぱな漫画家になるには一流の映画を観なさい、一流の小説を読みなさい、そして一流の音楽を聞きなさい」と助言した。手塚の言葉に従い、赤塚はレコード店に行き、店員に「一流の音楽が聞きたいんです。一流のレコードをください」と言うが、店員は何を渡したらいいのか分からず困ったという。その後、赤塚も手塚が住んでいたトキワ莊で暮らした。手塚はトキワ莊のメンバーに同様に「マンガからマンガを勉強するんじゃないよ。」「一流の芝居を見なさい、一流の本を読みなさい」などと言っており、赤塚は「だから僕たち(トキワ莊メンバー)はあの頃、ほとんど酒なんて飲まなかった。そのかわり、映画を見に行こう、音楽を聴こう、ジャズのコンサートに行こう、小説を読もう。手塚先生がそうしろって言ったから。」「その時はわからなかった。それで後になってからその意味がわかってくる。手塚先生のおっしゃってたことは、やっぱりすごく大きいのだ。いい音楽を聴きなさい。いい映画を見なさい。いい芝居をみなさい。本当に大事な教えだったんだと今にして改めて思うのだ」と語っている 

 また、最近youtubeで発見したのですが、坂本龍一手塚治虫に対して、

曲線がすごくきれいなんですよね。

手塚さんっていうのはね。優美なの。

動物を描いても、あの可愛らしさっていうのは曲線から来ている

女性の曲線もすごくきれいだし。

あそこの曲線に僕は音楽を感じる

 https://www.youtube.com/watch?v=3_-81zDE2os

(1分52秒~2分11秒)

と言っています。

手塚は音楽も好きで、クラシックも聞いたし、オペラも好んで見ていたそうです。

芸術一般への関心がとても強かったのだと、改めて尊敬しました。

芸術系での、著名な業績を残した人はみんなそうなんだろうなと思いました。

 

さて、話を戻して『文章読本』です。

丸谷は、まず名文がわれわれに教えてくれものは、言葉遣いであるといいます。

しかし、この言葉遣いを学ぶ、とは、単に大時代な美文・虚しい虚飾・古人の糟粕をなめる作文術ではなく、もっと一般的なこと、なのだそうです。

曰く、

落ち着いて考えへてもらひたいのだが、われわれはまったく新しい言葉を創造することはできないのである。可能なのはただ在来の言葉を組合わせて新しい文章を書くことで、すなはち、言葉づかいを歴史から継承することは文章をかくといふ行為の宿命なのだ。

と。私は「ん~そうでもなくね?(笑)」と思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。

流行語とが新語になることもありますし、哲学者は造語を作るのでこの言い方は如何なものかと思いますが、まあ既存の言葉がない限り新語はできないっていうのはわかります。(言葉というか、文字?ひらがなが新しく増えたりはしないでしょうからね、まああと哲学用語の場合はどちらかといえば、概念が作られるのでしょうから、この「新しい言葉ができない」という意味には含まれないのでしょうか。とりあえず、この時点では、「新しい文字は生まれない」ぐらいの認識でおきます。※なんか深堀したくなってきたけど、ここですると「文章上手くなりたい!」の目的に反するので、割愛します)

さて、その「名文を読」まなければ、言葉遣いを学べないという例として、丸谷は志賀直哉世阿弥を比べています。

たとへば志賀直哉の、

 

Kさんは勢よく燃え殘りの薪を湖水へ遠くへ抛(はふ)つた。 薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行つた。それが、水に映つて、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面で結びつくと同時に、ジュッっと消えて了ふ。そしてあたりが暗くなる。それが面白かつた。皆で抛つた。Kさんが後に殘つたおき火を櫂で上手に水を撥ねかして消して了つた。

舟に乗つた。蕨取りの焚火はもう消えかかつて居た。船は小鳥島を廻つて、神社の森の方へ靜に滑つて行つた。梟の聲が段々遠くなつた。

                           (『焚火』)

 この文章は平明な写生文であるが、ことごとく過去の言葉遣いの合成にならないのことは、以下の世阿弥における、

 地次第「衣に落つる松の聲。衣に落ちて松の聲夜寒を風や白らすらん。シテ「音信(おとづれ)の。稀なる中の秋風に。「憂きを知らする夕べ(ゆふべ)かな。シテ「遠里人(とほざとびと)も眺むらん。「誰が世と月は。よも問はじ。シテ「面白のをりからや。頃しも秋の夕つ方。地「牡鹿の聲も心凄く。見ぬ山風を送り來て。梢はいづれ一葉散る。空冷まじき月影の軒の忍にうつろひて。シテ「露の玉簾(たまだれ)。かかる身の。地「思をのぶる。夜すがらかな。宮漏高く立ちて。風北にめぐり。シテ「隣砧綏く急にして月西に流る。「蘇武が旅寢は北の國。これは東の空なれば。西より來る秋の風の。吹き送れと間遠の衣擣たうよ。「古里の。軒端の松も心せよ。おのが枝々に。嵐の音を殘すなと。今の砧の聲添へて。君がそのたに吹けやかぜ、餘りに吹きて松風よ。我が心。通ひて人に見ゆならば。その夢を破るな破れて後は此衣たれか來ても訪ふならばいつまでも。衣は裁ちもかへなん。夏衣薄きは契はいまはしや。君が命は長き夜の。月にはとても寢られぬにいざいざ衣うたうよ。かの七夕の契りには。一夜ばかりの狩衣。天の河波立ち隔て。逢瀬かひなき浮舟の。梶の葉もろき露淚。二つの袖やしをるらん。水蔭草ならば。波うち寄せようたかた。シテ文月七日の曉や。地「八月九月。げに正に長き夜。千聲萬聲の憂きを人に知らせばや。月の色風の氣色。影に置く霜までも。心凄きをりふしに。砧の音夜嵐悲の聲虫の音。交りて落つる露淚。ほろほろはらはらはらと。いづれ砧の音やらん。   (『砧』)        

このような絢爛たる綺藻の場合となんら異るところはない、と丸谷は言う訳です。

※正直に私には、そこでまで共通点がわかりません(ずーん)しかし、世阿弥の文章が美しいのはわかります。

このような古来の名文は、言葉遣いのみならず、正しい文章の呼吸法まで教えてくれることが、名文の功徳の二つ目だそうです。

 

さて、では他にはどんな効用があるのか、また次回をお楽しみに。