勉強して人生変えよう

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第2部―理性的に考えるための方法―

第2部―理性的に考えるための方法―

 

まずデカルトは、理性的に考える前に、一般的なものの考え方についてこう説きます。

 

また私はこう考えた。書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人々の意見が寄せ集められて、

次第にかさを増やしてきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然になしうる単純な推論ほどには、真理には接近できない。

 

われわれの判断力が、生まれた瞬間から理性を完全に働かせ、理性のみによって導かれていた場合ほどに純粋で堅固なものであることは不可能に近い

古い基礎の上だけに建設し、若いころに信じこまされた諸原理にだけ、それが真かどうかも吟味せずに依拠するより、このやり方によって、はるかによく自分の生を導いていくことに成功すると堅く信じた

 

「このやり方」がこの方法なのだと思います。個人的には、「自分の生を導いていく」が好きでした。

 

そして、デカルトによれば、

 

かつて信じて受け入れた意見をすべて捨て去る決意だけでも、だれもが従う範例ではなく、そして、この世の中には範例に全く適しない二種類の精神の持ち主がいる。

 

第一は、自分を実際以上に有能だと信じて性急に自分の判断をくださずにはいられず、自分の思考全てを秩序立てて導いていくだけの忍耐心を持ちえない人たち。

したがって彼らは、ひとたび、受け入れてきた諸原理を疑い、常道から離れる自由を手に入れるや、まっすぐ進むためにとるべき小道をたどることができないで、一生さまよいつづける。

第二は、真と偽とを区別する能力が他の人より劣っていて、自分たちはその人たちに教えてもらえると判断するだけの理性と慎ましさがあり、もっと優れた意見を自らは探求しないで、むしろ、そうした他人の意見に従うことで満足してしまう人たちである。

と。そして、デカルト自身も「第二の部類に入っていただろう。」と、心配するぐらいなので、一般の人間はこれをデカルトの100倍は気をつけなけないといけないと考えられます。

 

そして、デカルトは論理学や代数学の無用性を説いた後、

「四つ規則」だけで、理性を働かせ真理に到達することが十分だと信じた。

その四つが以下。

 

①自身が明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと。

言い換えれば、注意深く即断と偏見を避けること、そして疑いをはさむ余地のまったくないほど明晰且つ判明に精神に現れるもの以外は、何もわたしの判断の中なかに含めないこと。

 

②検討する難問を一つ一つを、出来るだけ多くの、しかも問題をより解くために必要なだけ小部分に分割すること。

 

③わたしの思考を順序にしたがって導くこと。

そこでは、もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、

少しずつ、階段を昇るようにして、もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき、

自然のままではお互いに前後の区別がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。

 

④すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。

 

この四つについて自身なり考察を次回ふかぼっていこうと思います。